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絶賛お仕事中! [日々徒然]

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相変わらずネームでもがいている。
2月は短いのに。
そんなわけで、しばらくブログの更新ができなくなる。
ツイッターにはちょこちょこ呟くと思いますが。

上の写真はおかげ様様ブラザーズの「結成30周年ぐらいTシャツ」とステージからばらまかれた「ういろう」
おかげ様のライブはとてもとても楽しい。
楽しすぎてどうしようと思うぐらい楽しい。
メンバー全員が揃うのが年に1回なので楽しさもひとしおだ。

ふと漫画家デビュー20周年ぐらいだということに気がついた。

お菓子三昧! [食!]

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2月半ばの修羅場はお菓子が充実している。
上はアシさん差し入れのユーハイムのアップルパイ。
フィリングは皮付き煮リンゴと、ユーハイムらしくバームクーヘン。
アップルパイのリンゴってすごく甘い物が多いのだがこれは絶妙な甘さで、半分ぐらいひとりでいけちゃいそうだった。
下もアシさん差し入れのモロゾフのチーズケーキ。
安定のモロゾフチーズケーキ。
上のイチゴジャムというかゼリーがマッチしてやはりどんどんいけちゃう。
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私が買ってきた「ぶどうの木」のさくらモンブラン。
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写真はないけど、同じく「ぶどうの木」の『炎のチョコレート』も購入。
「ぶどうの木」だったか「銀のぶどう」だったか定かでないのだが、ここのお菓子はとても美味しい。
モンブランは桜風味の芋きんとん、栗要り生クリーム、栗きんとんの3層なのだが、甘さも絶妙だった。
9等分してあるのを無視して4つに分けたのだが、軽い軽い。
これら以外に当然チョコも飛びかうわけで、非常に危険な5日間だった。
あ、もちろんケーキはいっぺんに食べたのではありませんよ。
ほんとですよ。
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カファレルとウサビッチがコラボ!なわけはない。
知人にいただいたかわいい箱入りチョコにだれかがプーチンをつっこんだだけ。
意外と違和感がないのは目のせいだな。

岐阜・福井旅行 その4 [旅関係]

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福井でKまた先生と別れ、海沿いに北上して暗くなるころ片山津温泉に到着したが、お宿が見つからずたいして広くもない温泉街をグルグル回ってしまったよ。
これがまたすごく大きな旅館で中でも迷子になりかける。
後で知ったのだが、この片山津温泉には先日のブログに書いた湯快リゾートグループの、なんと女性専用旅館がある。
気になりません?女性専用!
そのうち泊まってみたいものだわ。
写真は片山津温泉「佳水郷」の晩ご飯。
加賀らしく、カニがどっか〜ん!と出た。
そしてやはり全部食べきれないのが悲しいのう。

翌日長野の妹宅へ戻って1泊し、帰ってきた。
帰りに寄った寄居PAがえらく様変わりしていて驚いた。
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星の王子PA!
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まじめな点灯夫の街灯や
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実業家の家も、いや星もある。
王子さま像もあったのだけど、撮影に失敗。
最近SAもPAも頑張ってそれぞれの個性を出そうとしているな。

今回は悪源太義平がよく出没していたらしい飛騨から福井にかけてを「彼の足跡をなぞる」的にうろついてみたのだが、車などなかった時代、道も整備されていない時代、いや、このあたりに道自体があったかどうか怪しい時代、それでも人々はけっこう頻繁に、ごく当たり前のように移動していたのだということに驚いている。
だって、車で行ったってすごい峠なのよ、白鳥から九頭竜湖を通り福井に抜ける道!
日本には至る所にそんな峠越えの難所があったのよね。
歩行であろうと馬に乗ろうとハードなことには変わりない。
当時の馬が、小さくてずんぐりしていてアラブ系のようにスピードは出なくとも、いかに足腰が強かったかよくわかる。
義経の鵯越の逆落としも当時の馬ならいけるのだろう。
畠山重忠も馬が小さかったら背負って坂を駆け下りられるかもしれない。
馬が大人しく背負われているかはわからないけど。
当時の軍馬は陸奥産で気が荒いほど良い馬とされていたらしいぞ。
戦の時は他の馬に気圧されるなんて以ての外、相手をどついて噛みつくような猛獣が良い馬だったわけですね。
ラオウの黒王を連想したあなたはおともだち!

5泊(うち2泊は妹宅)の実りの多い旅行だった。
岐阜、福井のルートは非常に気に入ったので、機会があったらまた行くぞ。

岐阜・福井旅行 その3 [旅関係]

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上の写真は福井市内で泊まったお宿の向かいにある毛谷黒龍神社。
「けやくろたつじんじゃ」と読む。
最近パワースポットとかでめきめき人気らしい。
あ、これは昨年の10月に旅行したときの話です。
福井で同業者KまたKみこ先生と合流し、いろいろ案内していただいた。
福井には何度か来たことがあるが、いつもなんとなく通り過ぎていたので「足羽」の読み方も知らなかった。
あしは、ではなく あすわ である。
自分の作中で思い切り間違ったルビをつけちまってすみません。
斎藤実盛さんちはこの辺かしら(「すっくと狐」ではそういうことになってますので)
足羽神社近くのお宅の昔懐かしいゴミ箱なんかを撮ってみる。
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趣がありますわね。

翌日はKまたさんと三国港へ。
1995年の阪神淡路大震災の翌日のこと、電車が動かなくて福井から帰れない うぐいすみつると私は呆然と東尋坊に佇んでいたものだった。
震災の前日にたこ焼きのタコにあたっていた私はへろへろ、同じものを食べたけど難を逃れたみっちんは腹は下さなかったが風邪を拾ってしまい、やはりへろへろだったっけ。
冬の寒々しい海しか記憶にない三国だが、ゆっくり歩くと見所がいっぱいだ。
重厚な旧森田銀行とか
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三国独特の「かぐら建て」という建築様式の商家、岸名家とか
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美味しいお店も教えていただき、取材とは名ばかりの観光になった気がするけどいいの。収穫は多かったから。
越前そばも
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海鮮丼も
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とてもとてもおいしかった。
ありがとう、Kまた先生!
またよろしく!


旅行記の合間に、カプコンバー! [日々徒然]

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担当氏との打ち合わせの後、友達とパセラリゾーツ新宿本店1階のパセラとカプコンがコラボしたエンターテインメントなバーにいってきた。
バーでケーキ…と思ってはいけない。
バイオファンならたのまなくちゃ!な脳ミソケーキは美味だった。
灰白質部分はマロンクリーム、白質がクリーム、真ん中にベリーのゼリー、つまり、フランボワーズソースをかけたモンブランだった。
一人だと多いので、みんなでスパスパ切り分けて食すのが吉。
おっと、カクテルも頼まねば。
Gウィルスのワクチンはほんのりイチゴ味。
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こちらが あこがれのこんがり肉。
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個人的にはもう少しこんがりが好みかな。
これは切り分けるなどというお上品なことをしないで、かぶりつくのが正しい喰い方だと思うが、お上品に3人で分けました。
店内のあちらこちらで「異議あり!!!」「あ〜ゆ〜れいでぃ!?」「じょうずに焼けました〜!」などなど叫び声が聞こえるのも一興。
利用するには整理券をもらって予約しないといけないし、2時間ごとの入れ替え制なのだが、なかなか楽しかったよ。
整理券をゲットしてくれたS井さん、ありがとう!

旅行記の合間に、自転車ロードレース界のごたごたについて毒を吐きます。 [スポーツ関係]

「2012年2月6日、CAS(スポーツ仲裁裁判所)は、2010年ツール・ド・フランス期間中のドーピング検査でクレンブテロール陽性が判明したアルベル ト・コンタドール(スペイン、チームサクソバンク)に対し、2年間の出場停止処分が妥当であるとの裁定を下した。2010年ツール総合優勝のタイトルは剥奪。処分は2012年8月5日まで。

長期戦を呈したコンタドールのドーピング疑惑。最終的にCASが出した答えは、コンタドールに無罪を言い渡したRFEC(スペイン自転車競技連盟)の判断を 不服とするUCI(国際自転車競技連合)とWADA(世界アンチドーピング機構)の訴えを認めるもの、つまりコンタドールの有罪を認めるというものだっ た」
  シクロワイアード2/6のニュースより抜粋  http://www.cyclowired.jp/?q=node/76678

私はアルベルト・コンタドールのファンです。
そのせいもあって余計に納得いかない、わからないところが山ほどある。
彼から検出された禁止薬物は規定量の1/400ほどで、しかもツール・ド・フランス中の休息日。
これ自体は彼のパフォーマンスに何の影響もないとのことなのに、検出された事を重く見るというのならば「規定量」を定める意味はどこにあるのか。
それについて100歩譲っても、裁定が下されるまで延長延長延長の繰り返しで結局1年半もかかっているのは何故なのかな。
延長されるたびにコンタドールは次のレースへの調整をやり直していたはずで、ただでさえ厳しいレースのハードルを組織がそんなやり方で上げてしまうことについては納得などできない。
そしてクリーンな状態で圧勝した2011のジロ・デ・イタリアの優勝も剥奪。
なんか、萎えるなあ。
冷めちゃうなあ。
昔から自転車ロードレース界の薬物使用はかなりなもので、ドーピング検査も何処よりも厳しいと言われている。
厳しいのは結構だけど、風邪薬も普通に飲めず、喘息の薬が引っかかって出場停止とかってどうなんだろう。
本末転倒している気がしてならないよ。

エディ・メルクスさんのコメントがせめてものなぐさめだ。
「自転車競技にとってアンフェアーな裁定だ。
まるであたかも誰かが自転車競技の終焉を希望しているようだ。
他の競技とは比較にならないほど、自転車競技で はドーピング検査が行なわれている。
他の競技で行なわれていないことについて、専門家の意見を仰ぎたい。
不合理で、残念な結末だ。
被害を被るのは自転車競技界であり、どこにも勝者はいない」
        http://www.cyclowired.jp/?q=node/76719

大病にも数々の不運にも負けないでここまで来たコンタドールだから、今回も見事な復活を遂げてほしい。
そして今年のブエルタ・デ・エスパーニャでは2位の選手を1時間以上ぶっちぎって優勝していただきたいものである。


追記

長くなるが 2/8のサイクリングタイムのニュースより引用

CAS(スポーツ仲裁裁判所)は正式にアルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク)の禁止薬物クレンブテロール使用による2年間の出場停止を決定した。これにより2010年度のツール・ド・フランス優勝、そして2011年度のジロ・デ・イタリア優勝のタイトルが剥奪されることが決定した。

しかし出場停止は今年の8月5日に明けることとなる。これは今シーズン後半ブエルタでのコンタドール実戦復帰が現実的であるということだ。これは出場停止 期間が、使用が認められた2010年7月21日に遡り計算される為である。しかしながら調査の不透明性と遅延から、コンタドールは自身の処遇がはっきりし ないままレースで走り続けている。


グランツールのタイトルが剥奪がされたことにより、アンディ・シュレク(ルクセンブルク、レディオシャック・ニッサン)が2010年度のツール覇者となり、ミケーレ・スカルポーニ(イタリア、ランプレ・ISD)が2011年度のジロ・デ・イタリアの覇者へと繰上げとなった。


CASは正式に声明を発表している。


「我々の調査委員会によれば、肉の汚染のシナリオ、そして自己輸血のシナリオはどちらも可能性に過ぎない。どちらも分析結果を説明するには十分だが、その 逆も言えるあやふやなものだ。調査委員会の見解では証拠を検証、考慮した結果、クレンブテロールは汚染された食物を摂取したことによる可能性が高い。(厳 密に言うと意図的なサプリメントによる摂取と結論付けたようだ)」


「それにより出場停止機関の短縮に該当する正当な理由は無く、UCIのアンチ・ドーピングレギュレーションによりアルベルト・コンタドールの2年間の出場停止が妥当であると判断する。」


コンタドールは以前、無罪が認められないのであれば引退も辞さないと語っていたが、今回の決定を受けての正式なコメントはまだ出していない。しかし彼の兄弟フラン・コンタドールはコメントを出している。


「アルベルトは引退をしないよ。」そうCOPE(報道倫理委員会)に語った。


スカルポーニとシュレクはは共に今回の決定にがっかりしている。

「喜べるわけが無いよ、アルベルトのことは本当に残念だ。彼の無実を信じてきたし、自転車界にとって悪夢のような一日だよ。唯一ほっとしたのは566日というはっきりしないもやもやした日々にようやく決着がついたということだけだよ。」そうシュレクはコメントした。
「僕は4000ページにも及ぶファイルに目を通してたどり着いた結論CASの決定を真摯に受け止めているよ。今更2010年のツール・ド・フランスの優勝 者だといわれても嬉しさはなんて微塵も無いよ。僕はコンタドールと真っ向から勝負して負けたんだ。僕の目標は正々堂々と勝負して自らの力でツールを勝つこ となんだ。レースシーンで最強になりたいんであって、裁判所で得たい称号じゃないよ。今年勝つことができたら、それを僕自身のツール「初」勝利とする よ。」そうシュレクは複雑な胸の内を語った。


スカルポーニも同様に個人的レベルではコンタドールに同情をしている、しかし判決は判決と割り切ってもいる。


「個人的にはコンタドールの心情を察するよ。しかしながらこのことがプロサイクリストとしての僕に影響を与えることはないよ。結果も、そしてこれからの僕の目標に関してもね。ランプレISDのチームと共に今回の判断を真摯に受け止めるよ。」


しかしながらタイトル剥奪には反論もある。長くジロ・デ・イタリアのオーガナイザーを勤めたゾメニャンは、タイトル剥奪は不当であり、意味はないと語る。

「コンタドールの件に関して皆が聞くが、もう一度だけ明確に僕の考え方を述べておくよ。

彼はイタリアにUCI公認のライセンスを持ってやってきて、尿も血 液のテストもパスしてクリーンな状態で勝利したんだ。
だから彼の勝利を剥奪することは無意味だし正しい判断とはとても思えない。」
そう彼は自身のブログで 語っている。

コンタドールはレースに参加することを許されていたと言う事実、また566日という間判断が延ばし延ばしにされたことを踏まえても、WASAとUCIのやり方、また今回の判決が正当性を保っているかという部分では疑問が残る。

今回のようなケースが繰り返されるようであれば、選手は競技に専念することが難しくなってしまう。
また今回のことが発端で選手達の労働組合が出来ることをUCIは危惧しているとのコメントも出ている。
選手と競技団体の溝がこれ以上広 がってしまわないこと、また将来選手を夢見る若手選手達の為にもより良い競技環境を期待する。

http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=19193


岐阜・福井旅行 その2 [旅関係]

久津八幡宮から下呂温泉は10キロぐらいかな?
下呂温泉は何故かいままで素通りしていたけど、今度こそと予約したのが「湯快リゾート下呂彩朝楽別館」2食つき6800円。
この湯快リゾートというグループはほとんどのお宿が2食ともバイキングで低料金。
旅館の夕食が多すぎる人間にとってはバイキングはありがたいのね。
地元の美味しい料理は嬉しいけれども毎日あの量を出されると年寄りはつらいので、一人で旅行するときは朝食のみとか2食ともバイキングの宿の合間に、ご馳走がどーんと出る宿をチョイスするようにしている。
といっても、行く場所によっては選択の余地がなかったりするけれどね。
当然ハズレもある。
以前、同じようなシステムで違うグループのお宿に泊まったら、品数が少なく全部冷凍で冷めていて固くなっている料理と対照的にやたら種類の多いデザートというトホホなバイキングにあたったことがあるが、湯快リゾートのは種類は多いしとても楽しくていいわ。
夕飯は大根と牛筋の煮込み、鰤の竜田揚げ、茄子の天ぷら、ゆで野菜、もずく酢に塩辛、鰯の黒酢漬け、刺身、栗のプリンにワラビ餠とコーヒー。
朝ごはんは秋刀魚の開き、だし巻き卵、納豆、小松菜のおひたし、オクラと湯葉の和え物、湯豆腐、コーンポタージュ、焼きたてクロワッサン、ご飯ふた口、コーヒーとぜんざいをいただいた。
おっと、下呂温泉もすごく良いよ!
年とともにお肌のアレルギーがぶり返し、草津とかのちょっときつい硫黄泉は肌に合わなくなってきているのだが、下呂はとても柔らかくていい感じだわ。
お伊勢さんに行くときに泊まった三重の榊原温泉もすごく良かったなあと調べてみると、どちらもアルカリ性の単純温泉。
よしよし気をつけよう。

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九頭竜湖近くの道の駅に生息している親子。
福井は恐竜の化石が日本で最も多く出ているそうだ。
下呂から義平の伝説が残る金山町を通り、郡上八幡から越前街道を北上、美濃街道で油坂峠を越えて九頭竜湖を過ぎたあたりに福井方面からの九頭竜線の終点、九頭竜駅があり、その裏に笛資料館がある。
義平の青葉の笛のレプリカをはじめ、様々な笛が展示されている。
資料館の方に話を伺ったところ
「義平の子孫と伝えられている朝日さん(そのあたりの地名は朝日というし、古いお家なんだろう)がずっと保管されていたのですが、資料館を作るときに本物を収めるためのお社も建てるはずだったんです。
ところが専門家に見てもいますと、もう本当にぼろぼろでかなり危険な状態ということだったので、何かあっては取り返しがつかんということで本物は厳重に保管し、レプリカを展示することになりました。
本物を調べていただいたところ、鎌倉時代以前に作られた笛の特徴が良く出ているということです」
だそうだ。
時々旅行先などで感じることができる「生きた歴史」。
史実などという胡散臭い言葉で表される教科書や本の知識ではなく、代々語り継がれている「本物」だと思う。
この町では悪源太義平と村の娘との恋物語を知らぬ者などないんだろうな。
はい、こちらです。 後ろが笛の資料館。
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こんな立派な本も売っています。
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金山町の、義平がヒヒを退治してくれたお礼にと村人が源氏再興を願って建てたという祖師野八幡宮に行き損ねたので、次回はちゃんとお参りし、郡上八幡の町をゆっくり見てみたいな。

岐阜・福井旅行 その1 [旅関係]

昨年10月、『すっくと狐』に登場してもらっている悪源太こと源義平さん関係の取材旅行を決行した時のことを、忘れないうちにアップしておく。
いやもうだいぶ忘れているんだけど。

彼は鎌倉悪源太と呼ばれるくらいだから縄張りは坂東なのだが、飛騨や九頭竜付近にいろいろな伝説を残している。
今でも十分山深いところなので当時はいかばかりかと思うのだが、伝説が点々と残っているということは結構行ったり来たりしていたのね、じゃあそのあたりをなぞってみるか!と思い立ち、愛車を駆って出掛けたのでございます。
長野は黒姫高原の妹宅に一泊し、翌日は松本から安房トンネルを抜けて飛騨高山を横目に義平が勧請したという神社を回って下呂温泉泊、飛騨川沿いにちょいと下り、郡上八幡から北上して油坂峠を越えて九頭竜湖を眺めつつ福井に抜けるというルートだ。
私は車の運転が好きだ。
若い時みたいに一人で山口でも青森でも行っちゃうよ!気の向くままふらふらしちゃうよ!といいたいが、さすがに最近は時間的に無理なので、比較的近場を比較的ふらふらでよしとする。

で、肝心の取材なのだが、義平が鶴岡八幡から祭神を勧請したと言われている久津八幡宮は
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出鼻をくじかれた感あるが気を取り直して本殿へ
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本殿に蛙股のほられた鶯が鳴いたという伝説もあるのでございます。
この写真からはわからないが、境内はそれほど広くなく鳥居のすぐ前を国道とJR高山線が通っている。
でも、当時はこの何もなさそうな山の中にどうして八幡神を勧請したのかしらと不思議だったが、本を読んで納得。
このあたりはすぐ前の川から銅や鉄が取れ、製鉄が盛んだったと。
なるほど、陸奥の馬や鷹の羽同様、鐵もとても大事よね。
義平は源家の嫡男ということで、十代でもいろいろ仕事をこなしていたのだろうなーとしみじみ思いつつ、下呂温泉へGO。


初午に無官の狐鳴にけり [日々徒然]

上の句は小林一茶の句。
節分で初午の3日は何もせずに過ごしてしまった。
豆まきしてません。恵方巻き食べてません。
折角の美味しい物を無言で1本丸かぶりするというのは何となくつまらない気がして、むかし仕事中にアシさんがいるときに1回やったきりだなあ。
でも、豆まきはしたかった。

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この絵は先日あげたデジタルホラーM表紙とほぼ同じ物なのだが、表紙では絵の上にいろいろ被っているのでこちらもあげてみた。
烏帽子はどうした、そのポニーテールはなんだ、悪源太!とか突っ込みどころはあるでしょうが、ふぁんたじーなので許してください。
彼が着ている鎧直垂と小手なのだが、大好きな絵師月岡芳年の義平さんとお揃いにしたかったのね。
こちらが死したのち雷となって、処刑の時の約束通り難波次郎さんを蹴殺したときの悪源太義平殿。
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すごい迫力でございましょ?
直垂の三つ巴の紋は源氏が信仰していた八幡神の神紋で、他の多くの神社でも使われているとか。
鎌倉悪源太義平こと源義平は超有名な源頼朝や義経の腹違いのお兄さんだ。
平治の乱で敗れ、数え歳20歳で斬首されたが、今の数え方だとたぶん享年18歳。
現代に比べて当時は、人が大人になるのがだいぶ早かったのだね。
十代で子持ちなんて当たり前だったし、特に棟梁クラスは精神的にも早く一人前にならざるを得なかったのだろうね。

今『すっくと狐』8巻の描き下ろし原稿と格闘中なのだが、悪源太編はそれで一応けりをつける予定。
最後が駆け足になっちゃうのは残念だけど、義平くんはとても気に入っているキャラなので機会があればまた描きたいと思っている。


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