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岐阜・福井旅行 その4 [旅関係]

翌日の郡上八幡城からの眺め。
趣があるとも言える…。
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お城はこの様な所↓に建てられているので、晴れていれば城下を一望の下に見渡せたのだけど。
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その日は1日中雨模様。
そういえば、前回同じルートで福井を目指したときも雨じゃなかったっけ?
郡上八幡から国道を北上し、ちょっと入ったところにある「古今伝授の里 やまと」は温泉もある、いい感じの道の駅でお気に入り。 http://www.gujo-tv.ne.jp/~kuturogi/index.htm
片手に塩麹アイス、片手でスマホで写真を撮ったら後ろにピントが合ってしまった。
とても美味しくて他のも食べてみたかったけど、とにかく寒かったので次の機会にね。n_131104_n5.jpg
さて、長良川を横目に越前街道を北上、九頭竜湖経由で福井に向かう。
九頭竜線九頭竜湖駅前のティラノ親子は元気だった。
15分おきに動いて「泣く」 そう書いてあったんだが、誤植だよね。n_131104_n2.jpg
駅のすぐ裏にある「青葉の笛資料館」前の悪源太義平とみつの像も雨に濡れている。
相変わらず全く人気がない。
「にんき」じゃありませんよ!「ひとけ」ですよ!
前から思っていたのだが、この像を造った方は初めは義平とみつをちゃんと向かい合わせていたのではないかしら。
だって、今の向きだと二人の視線は交わらないし、その手の位置ではちゃんと笛を受け取れないでしょう。
像を設置するにあたり、顔が見えるように位置を変えたのかな。
本来なら見つめ合っているはずなのに、なんだかかわいそう…そんな気になる二人なのだった。
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後ろから見てもなんだか不自然。
向こうに見えるSLは昔九頭竜線を走っていたものか。
今は長野で頑張っている先代の愛車、ファンカーゴも写ってる。
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前に来たときも感じたのだが、飛騨地方をまわっているとあちらこちらに義平の影がちらちら見え、それがその土地の人たちが彼のことを伝え続け未だに忘れていないからなのだと実に嬉しかった。
史跡などが残っていなくても、実際その場所に行くことは歴史に関わる作品を描くのにとても大事だと思う。
今の鎌倉は源頼朝の鎌倉であって、その父義朝や長兄義平がいた頃の鎌倉と全く別のものになっているだろうし、彼等の気配というか、風を感じるには無理があった。
彼等の存在を身近に感じることもなかった。
だから前回も今回もめいっぱい義平を補充することができて幸せだわ。
返す返す残念なのは、この旅行が『すっくと狐〜悪源太』を描いている時期にできなかったということ。
もし描く前に取材できていたら岩陰遺跡や祖師野も出したのになあ。
前轍を踏まないように、いま連載している芭蕉の話はがんがん取材に行くよ。

福井の古刹、永平寺は吉川家の宗派である曹洞宗の大本山
でも私がお詣りしたいと思ったのは、30年ぐらい前のNHKの永平寺の特集番組で、冬の雪深い永平寺で修行するお坊さんたちを視たからだった。
いいの、煩悩にまみれていても、そのおかげで今がある!
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山あいに建つ伽藍はそれは美しい。
下の写真は仏殿。
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雲水の説明を聞いた後、30年前の番組で修行僧たちが磨いていた長い回廊を粛々と進む。
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↓一番高いところにある法堂(はっとう)は一般の寺院の本堂にあたる。n_131104_n10.jpg
上から見るとこんなです。
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修行僧以外は写真撮影OK。
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↓大時化の時に道元さんを助けたという一葉観音様。
顔つきも体つきも凛々しくていらっしゃる。
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永平寺は雪のため瓦の傷みが早く毎年多くの瓦を取り替えねばならないので、参拝客に修復のための志納金をお願いしている。
下のかわいいお数珠は瓦志納の記念品。
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自分のお数珠を引っ越しの時に行方不明にしたままなので、本山でお数珠を購入するというのも今回の目的のひとつだった。
水晶と珊瑚のにしました。

永平寺町の観光ガイドはこちら→ http://www.town.eiheiji.lg.jp/guide/


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